中国雑感

 


司馬遷の「史記」は、中国古代史必読の書だということになっている。寺田隆信によれば、司馬遷の認識は「世界と歴史を動かすのは人間であり、その動力は聖と悪それぞれに傑出した人間が発する」ということらしい。


ファンタジスタがゲームを支配する、南米系個人プレー重視型フットボールの感覚だろうか。彼がコケれば1000000000人以上が揃ってコケ、彼が優れたプレーをすれば天下は治まる。列伝形式の歴史記述が有効なのも、この仕組があればこそなのだろう。


史記が最初に触れている五帝(黄、顓頊、嚳、尭、舜)時代には帝位は禅譲が基本だった。世襲せず、有徳者を見いだして後を継いでもらう。ダライ・ラマ方式だな。その後、子孫に帝位を譲る世襲、血縁的な統治にスライドして行く。王朝制度への移行だ。こうなると聖に傑出している天子もいれば、極悪の支配者も出現することになるだろう。中国の歴史は「世襲」と、極悪天子を抹殺して帝位を奪う「放伐」との繰り返しになる。清朝の滅亡(1912)までは。


現在共和国(=天子不在の国)と命名されているこの国も、体制の核になる部分は清までの王朝的プラットフォーム上にあると考えられる。故宮を貫く南北軸線上に毛沢東廟/オリンピック会場をピタリとのせる都市計画は、始皇帝以来2200年も続いた王朝期のコンセプトそのままだからだ。


この国は次に動くときも、極めて大きく動くんじゃないかな。

 

2010年7月8日木曜日

 
 

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