熱海のブルーノ・タウト

 


晴れた。亡命建築家ブルーノ・タウトが熱海に設計した旧・日向別邸に来ている。


日本に現存する、建築家としての実作はこれ一つだが、我々の記憶の中には「日本美の再発見」の著者の名前として深く刻まれている。この本も、戦時中のナショナリズム礼讃との抱き合わせで語られる事が多く、未だに建築史家がキチンと評価していないと言っていいと思うが、この建物も真正面から語られなかった。建物自体が、堅苦しいアカデミズム/教条主義的評価の軸からスルリと逃げる、あまりにも自由な気配に包まれているからだろう。


この家は、渡辺仁の設計で1935年に竣工した木造2階建ての地下コンクリート部分(機能的には土留め)に、翌1936年、タウトが設計したインテリアを嵌め込んだ別荘建築だ。


タウトの設計した地下部分の視覚的重心は相模湾の水平線上にある。全ての部屋が海に向って可能な限り大きな開口をあけている。急傾斜の地形がそのまま室内形状にも影響しているのであろう、窓側は低く、崖側は高く、床レベルが大きく2つに分かれていて、その85センチ程のレベル差を解消するために、凝った意匠の階段状部分が設けられている。部屋のどこからでも水平線への眺望を妨げられない工夫がこの部屋の形態を決定している。


設計は吉田鉄郎との恊働。タウトが日本に来てから学んだ様々な木造/数寄屋の知識がありったけ注ぎ込まれている。過剰な要素や色のぶつかり合いと不思議なプロポーションが、水平線の力にまとめられて、タウト独自の空間に結晶している。


故郷を捨て設計の仕事にも恵まれなかった失意のタウトは、どんな気持ちで水平線を眺めたのだろう。竣工直後にタウトは日本を去りトルコに向かう。日本の人間・空間・時間はタウトを引き止めることが出来なかった。大戦前夜と日本は変わっていない。

 

2009年8月14日金曜日

 
 

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